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<池田家の勢力範囲>
ちょっとここで池田氏の勢力範囲を考えてみたいと思います。1939年(昭和14)発行の「池田町史」には、箕面市新稲にも池田氏一族の末裔が在りとの事(といっても時代が開き過ぎているので後世の移動だと思いますが)から、仮に当時から続くものであれば、池田から東側にもその勢力が及んでいたようです。
また、池田氏は代々箕面市牧落地区あたりを支配している事もあり、池田から東への影響力は古くからあったようです。
また、中川御年譜には、中川清秀が池田周辺の出陣に萱野長門守・下村一之丞・粟生兵衛尉・安威三河守勝宗などをともなっていたとしています。
こういった記録を見ると、1571年(元亀2)10月頃に最大となった摂津池田家の版図は、木代(豊能町)、下田中(三田市)、小柿(三田市)、湯山(神戸市北区有馬)、加茂(川西市)、久代(川西市)、小戸(川西市)、栄根(川西市)、細河(池田市)、服部(豊中市)、小曽根(豊中市)、北条(豊中市)、熊野(豊中市)、原田(豊中市)、萱野(箕面市)、桜井・牧落(箕面市)、粟生(箕面市)、箕面寺(箕面市)、止々呂美(箕面市)、小野原(箕面市)、新稲(箕面市)、宿久(茨木市)、蔵垣内(茨木市)、福井(茨木市)、安威(茨木市)、太田(茨木市)、郡(茨木市)、井於庄(摂津市)、垂水(吹田市)、吹田(吹田市)、芝原(豊中市)、余野(豊能町)、止々呂美(箕面市)、などに私領や縁故者、代官地などの影響地を持ち、それらを束ねる総領として大きな力を持っていました。
池田家は豊島郡単位をほぼ掌握し、また、その周辺地域にも影響力は及んでいました。