応仁・文明年間頃から摂津池田を中心として、勢力を伸長させた池田氏は、この池田筑後守勝正(生没年不詳)の代で最大の版図を築いたと考えられています。在地勢力として活動したこういった集団は「国人(こくじん)」と呼ばれています。
勝正が池田家の代表を努める頃、摂津国人としては戦国大名にも匹敵する程の勢力だったと様々な文献に記述されていますが、なぜかあまり一般には知られていません。実際、摂津国の統括的立場である守護に任命されています。この事は、正に「戦国大名」と呼んでも差し支えない事実です。また、彼の家臣には、荒木村重、中川清秀などがおり、彼を取巻く環境面でも話題は豊富です。
また、織田信長上洛後の幕府・織田氏政権内でも守護としても重用された池田勝正をこのコーナーでは年表(実は彼についてまだ体系化されていないのですが...)にして紹介します。
これをきっかけに、郷土の歴史が日本全体の歴史に通じる事を知って頂ければと願っています。また、地域的な教育の素材としても活用して頂きたいと思います。
それから、近年増えつつある辞書サイトは、間違いを引用して増殖しているため、更に間違いが定着する事も懸念しています。
これらの環境も憂いながら、歴史的事実をこつこつと更新していく予定ですので、みなさん宜しくお願いします。勝正の名誉挽回のためにも、唯一無二の「池田勝正研究所」としての気概を持ってがんばりたいと思います。
画像の署名「八郎三郎 勝正」と勝正の花押