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<戦国時代中期から後期の頃>
さて、史実上での池田城は、応仁の乱から戦国時代にかけて池田城は数度の戦いを経験します。
中でも1508(永正5)年に細川澄元と同名高国の間に起こった家督争いは、畿内全域を戦場にし、摂津にも惨禍をもたらしました。この時池田城は落城します。摂津のほとんどの国人は高国側についたにも関わらず池田氏のみ、その勢力に反旗を翻したのです。結果的に時の当主である貞正以下縁者は自刃します。
その後、貞正の跡を継いだ子の三郎五郎(久宗・信正)の活躍で、再び池田城は池田氏の下に回復されます。