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<第十四代将軍足利義栄を支える>
三好三人衆に池田家が加わり、次第に京都を中心とした五畿内地域で勢力を拡げていた事から、朝廷はその実力を認めて、第十四代室町幕府将軍として足利義栄を就かせます。
1568(永禄11)年2月8日、朝廷は公卿の山科言継を摂津国高槻の普門寺へ遣わして、将軍の宣下を行いました。あまり知られていないのですが、池田家は義栄政権誕生に大きく貢献し、それを支えていたのでした。
また、これを機に三好参人衆と池田家などは完全な公的立場に立ち、政治・軍事的には松永久秀などに対して、圧倒的な優位に立ちます。この頃、池田家のライバルともいえる伊丹家は、久秀に加担して窮地に陥っていました。