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<泰平の世の頃>
江戸時代になると池田は、一時期を除いて明治維新まで天領として統治されていました。やはり経済的軍事的要地は徳川幕府にとっても同じで、その重要性は変わることがありませんでした。
泰平の世になってからは、先天的な地の利を生かして経済の町として発展します。物資の集散地(池田炭も有名)として以外に酒造や植木産業も発展し全国に知られた存在となっていきます。
前記にもありますように、市場町としての池田を補足しておきますと、池田の奥郷から運ばれてきた物資は、高槻・茨木・吹田・大坂天満・伊丹・尼崎・西宮・兵庫などから買い付けに来ていました。市場機能は正に北摂の中心的な地位にありました。
池田城跡は、時代により様々な利用がされましたが、今日こうして市民の憩いの場、城跡公園として使用できるのも、故林田良平氏をはじめとした有志の方々のご尽力があったことも忘れてはいけないことだと思います。
現在池田城跡は、公園整備作業が終わり2000年4月1日にオープンしました。私も観光ボランティアガイドとして週末に登場(池田城跡於て)しておりますので、是非お越し下さい。