元禄絵図の宅地割を現在地図に重ね合わすと、宅地の間口あるいは形状が一致するものが多く当時の製図上の誤り、あるいは絵図寸法の取り方なども含めると、かなり合致するものがあります。
宅地の間口が元禄以後変わっていないのは旧中之町通りに一番多く、次いで新町通りとなります。但し新町通りは道幅が両側に拡張され、宅地が切り取られていますが、その部分を除けばよく一致しています。これに対し、宅地の間口が変わった所の多い地域は旧本町通りと栄町通り、および旧大西垣内です。
こうしてみると、間口の継承されたところは2〜3間と初めから間口の狭かった地域で、酒造家が多数集まり、間口4間以上の宅地が多かった旧東本町に間口の細分・統合が集中している亊が分かります。一方栄町通りでは宅地の割り替えが行なわれていますが、これは元々家数が少なかった上、小さい借家が多く、商職人の殆どいなかったところでもある等、鉄道開通に伴って最も変化しやすい地域条件を備えていた亊によると考えられています。
さて、建物の時代別分布についてですが、現在商店を営む家では、看板を付けたりモルタル仕上げなどで軒上まで表構えを造り替えている家屋が多く見られます。特に本町通りではアーケードによって屋根面を隠すなどで、外観からの時代判定は極めて困難となっています。
旧市街全体では、江戸・明治期の建物が集中しているのは、旧北新町の一部(伊居太神社の剣先)、小坂前町・中之町・柳屋町・西本町・西ノ口町・林口町の託明寺周辺となっています。中でも剣先から小坂前町・中之町にかけての通りに江戸期の建物が残っています。
これに対し大正・昭和戦前のものが集中するのは、旧北新町・中新町・槻木町です。その他は大半が昭和前期か戦後で、中でも旧南新町・大西垣内の通りは戦後の建物です。
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旧中之町の旧家
新町に残る旧家
本町の西通り
栄町通り
旧家のモルタル壁
北新町の旧家
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