頻度は減ったとは言え「文化」という言葉はよく知られた単語です。しかし、文化とは一体何なのか、私には捉え所のない言葉でした。
年を追う毎に数を減らす歴史的遺物を見るにつけ、今とは違う(同じ日本で起っていたものとは考えられない程)というだけでこんなに無関心で良いのだろうかと思い続けていました。
ある時、町を歩いている時に、ふと、文化とは「共有(通)」という言葉に置き換える事で、自分の中で漠然としていた「文化」という言葉がどういうものなのか、その意味を教えてくれたように思います。
市民として、そういう目で見れば、国宝でもなければ重要文化財でもない、何でもない一地方の民家というものもまた違った意味を持って、私に語りかけてくるものになりました。
文化というものが共有であるなら、今現在の文化は大量生産と消費を基本とした「経済的文化」であり、前時代の文化からはやはり種類の違うものを感じます。
あまり深く考える必要はないのかも知れませんが、日本の、そして池田の永い歴史の中で人々が脈々と生活し、そして受け継がれた民家やその町並というものに対して、後世に生きる私達は、無造作に接するのではなく、もう少し包容力を持つ必要があると考ています。それは、使い続ける工夫もそのひとつなのかもしれません。
前時代から受け継がれたものに、私達は、もう少し感心(優しさ)を持つべきだと思います。かつては、伝統的建築物群保存地区にも推される程の価値を見い出されながらも、今では、ただ崩れ行くだけの町並みを見ながら、そのように感じています。
カタチある限り、全てに「時間」というものが関係し、そしてその意味を加えて行くならば、それは成長といえるのかも知れません。また時間の流れは重なりの時間、いわゆる歴史であると言えます。
どのように時間を重ねるか、市民自身が考え、選んでいかなければいけません。その軌跡を知るために歴史というものは不要でしょうか?私はそうは思いません。そんな池田の古い家屋の様式群には、私達の起源(軌跡)さえも持ち合わせているように思います。
また、都市も一人の人格のように考えるなら、やはり成長しなければいけないと思います。
その地域が自然環境や地勢からカタチ創られた(都市の)性格(それが特定の場所でもある)は、地域の起源として大切にしていくべきだと思います。
私はそれを池田市の旧市街地区と関連付けて考えていますが、一番大切なのはやはり、市民ひとりひとりがそれを望むかどうか、それが民主主義では基本になる事でしょう。
「文化」とは何か?共有すべきものは何か?私達は、この事に決して無関心で居ていいことはないと思えます。
近年の時間の積み重ねが、これまでとは全く異なるものになってしまっている事に気付き、前近代的な歴史的遺物の保存を考える時期にきていると思います。歴史は単なる懐古主義というものではなく、社会性を持ったものとして...。
旧市街の町並みの今後は市民次第と思いますが、今後も池田の中心旧市街の移り変わりを興味深く見ていきたいと思います。
最後は個人的な感情移入の強い感想になってしまいました。ご容赦下さい。
これからも忽忽と更新しますので宜しくお願いします。
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