池田の歴史関係図録
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茶臼山古墳呉服神社 
Kureha shrine

呉服(くれは)神社は、阪急池田駅を降りて線路沿いに猪名川の方向(西)に歩けば、直ぐに石の鳥居が見えます。更に300m程進むと左手に、互いに交差した松があって、そこから呉服神社の参道になっています。かつては、現在の阪急電車の線路を越えて、まだ北に参道が伸びていたそうです。また、呉服神社は「秦下社」といって、呉服神社の北にある伊居太(いけだ)神社の「秦上社」と対を成しています。これらの神社は織姫伝承の中心で、伊居太神社は穴織姫を奉り、呉服神社は呉織姫(仁徳天皇も)を奉ってあります。

 本殿は、伊居太神社と同様に1604年(慶長9)、豊臣秀頼の祈願で再建されました。呉服神社は、再建当初から江戸期を通じて様々な呼ばれ方をしていたようですが、やっと明治以後「呉服神社」と定まったようです。その様子は、江戸時代に発行された摂津名所図絵などでも描かれています。絵を見ると、長い参道がよくわかります。

 阪急電車が開通する明治後半までは、その長い参道に沿って梅室・姫室の古墳がありましたが、阪急電車の建設にともなって壊されました。言い伝えでは、梅室に呉織姫を、姫室には穴織姫を葬ってあるといわれていましたが、発掘調査によると各々の古墳からは、大・中・小の和鏡と土器のみの出土でした。その後、姫室から出土したものは伊居太神社へ、梅室から出土したものは呉服神社へそれぞれ移されました。歴史をひも解くとこの上下二社は、時代を超えてお互いの関係が守られているのが面白いですね。呉服神社は由来からして、服飾関係の方からの信仰を集めています。また、毎年1月9日は戎祭りが行われています。


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