御獅子塚古墳
The oshishi grave
池田には、首長級墳墓と思われる古墳が古墳時代前期・後期のものは多く確認されています。しかし、中期のものが全くといっていい程見つからず(小規模なものは確認されています)、どういう理由か中期の首長級墳墓はお隣の豊中市で多く確認されています。発見された古墳の位置関係を見ると、摂津地方を北から南に流れる猪名川を中心として有力な勢力があったようです。各々の古墳は全て猪名川の恩恵を受けた農耕地帯を見渡せる好地に建造されていました。
豊中でも特に古墳の集中している場所が桜塚周辺で、専門的には、桜塚古墳群と呼ばれています。往時には36もの古墳があったといいます。その後、市域の拡大と共に宅地化されてしまい、古墳の多くはなくなってしまいました。その中でも特に大規模だった古墳は、現在公園として整備され、保存されています。
大塚・御獅子塚古墳の発掘調査では、甲冑や鉄剣、鉄製武器、武具などが多数出土し強力な武力集団が存在したことをうかがわせます。この古墳が建造された五世紀頃は「倭之五王」の活躍した時代とされ、桜塚一帯はそのひとつではないかとも言われています。
|