交通手段としての馬
One of the transportation by means of a horse in Medieval Period.
現代のように内燃機関を持つ移動装置が無かった時代は、人類史上において非常に長かったのは、ご存じの通りです。
中世、戦国時代には当然、移動するためには、「歩行」以外では、馬や牛といった動物か、水上では舟を使うしかありませんでした。
そういった社会環境の中は、当然、集落や都市、城郭といった空間には、そういう移動のための物体を保留しておく場所が確保されていた事と思われます。
地方の大型都市であった池田、そして、その地方都市政治の中心ともなっていた池田城内にもやはり、馬や牛(主に輸送用途で)を保留させる場所があったと考えるべきだと思います。
しかし、これまでその視点が無かったために、発掘調査では確認された例が無く、想定そのものもされていません。
唯一、伝承記録として、「バンバ」(馬場)という小字が残るのみです。また、当時の池田家中にあった荒木志摩守元清なる人物が、近世に時代が移る頃に、「荒木流馬術」で著明となり、「信長公記」でも、有岡城の荒木村重を攻める際に、池田城東側の馬場で馬遊びをしたとの記述が見られます。これは、池田に伝わる小字の「バンバ」と同一かどうかはわかりませんが、同一の可能性はあります。
永禄11年10月には、将軍となった足利義昭政権を支えるべく、摂津国守護所の一つとなった池田城に、馬を保留する「厩」が無かったはずはありません。
さて、それはどこにあったのでしょうか?興味深いテーマです。
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