満願寺屋古写真
Manganji-ya old picture
池田での酒造業は、万願寺村(現川西市)から池田に移って酒造業を始めた万願寺屋に始まると言われています。時期は、15世紀中頃の応仁年間まで溯ると言われています。当時池田村は、近郷農村と比べると群を抜いて大きな町で、近くを流れる猪名川の伏流水にも、また、人手にも事欠かなかったので、都市産業としての酒造は成長をしていきます。
その後、戦国時代末期を経て元禄時代、池田酒は最盛期を迎えます。これは幕府の政策により酒造を在郷町や城下町に限定したことと、万願寺屋が受けた徳川家康からの朱印状を元に独占的な生産・販売が可能だったことによります。元禄の頃、酒造家は38軒、同十年の記録では1,1228石余の酒を生産していました。この生産量は畿内でも有数で、江戸の入り酒総数の8.8パーセントにあたりました。このうち万願寺屋は1,135石を生産していて、同時期の伊丹地域の総酒造量を一家で凌いでいました。池田では最有力の万願寺屋に続き、大和屋・菊屋・清水屋などが大規模に酒の生産をしていました。当時、それらの酒造家は池田郷の能勢街道を中心に蔵が建ち並び、酒問屋もその付近に集中していました。現在の栄本町商店街辺りから東に走る道路が池田のメインロードでした。その当時は、綾羽の職業安定所付近に万願寺屋はありました。ちなみに池田の職業安定所の南西にある駐車場や栄町商店街の中のアゴラも、元は造り酒屋でした。
近頃は、国内のワインブームに圧されて日本酒は元気がありませんが、逆に海外での日本食の浸透に連動して日本酒も受けているようです。日本の事情とは逆に、海外へ日本の酒造会社が進出しているらしく興味深い現象ですね。
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