天神の森跡
The Tenjin forest of ruins
池田村の市街地から南の外れにあったこの森は、阪急電車の開通で周辺が市街地化する中で消えていきました。その時、森の一部を切り取って線路が敷かれ、既にこの頃から森としての存続ができなくなりつつありました。現在は1985年(昭和60)6月にオープンしたステーションNにその姿を変えています。
戦後もしばらく大きな木が茂っていたそうですが、そこに春日座という芝居小屋が建ち、その際木は切られてしまったそうです。駅に近く便利だということで、この場所が選ばれたようですが、その芝居小屋は完成直後に火災で消失しました。短命の芝居小屋でしたので様々な噂が当時は飛び交ったとの事です。その後、池田駅の高架化に伴う駅前の再開発でこの周辺は一気に近代化が進みました。
さて、1866年5月10日の打ち壊しですが、ここに近隣の百姓などが集まり、夕方から北にある新町方面に向かいました。新町にある米屋、干藤、かや藤、長谷屋、山益など多くの店が打ち壊されました。翌日早朝から更に中之町の米屋、丹市、飴儀などを打ち壊して廻りました。堪らず話し合いの席が持たれ、丹波屋市右衛門が調停役となり和解が成立し騒動はようやく治まりました。これにより米価は1升300文にまで下げられ、民衆は本意を果たしました。
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