タイトル:幕末の池田関係の図録
写真:池田市の飴屋瀬平宅跡飴屋瀬平宅跡
The remains of Sebe Ymeya house

馬借年寄を務めた飴屋瀬平は旧中村氏宅がその跡として近年まで残っていましたが、今は池田中央映画館となっています。ここには映画館が2つ入っています。
 当時の街道は、写真中央の道が映画館が終わる辺りから行き止まり(家があった元禄の頃は庄屋宅)となっていて、その突き当たりを右(北)へ抜け鍵型に道を曲って、能勢・亀山方面や中山寺方面に抜けて行きました。ですから、結構な人通りで池田の目抜き通りとなっていました。ここに馬借の重役が住んでいました。他の同業者もこの街道沿いに住んでいただろうと思われます。

 物資の集散地として早くから集落があった池田では、その必要性から馬借も早くから組織されていたのではないかと思われます。市場の諸商品の運送は勿論の事、元禄時代をピークに栄えた酒、多田の山から産出する銅などを運んでいました。
 1764年(明和元)10月4日の古文書には「池田村は往古よりの市場にして殊に四月より九月迄は果物類の荷物多く、又酒荷物一万駄飴あり、河邊、能勢両郡の御城米七八千石、及び各御領地八千石飴など入込み荷物1ケ年凡三万駄計り、其の外多田庄御用銅運送も相勤め、(後略)」とあり扱っていた荷物の内容が伺えます。

 また、近隣地域の馬借間とのやり取りや奉行宛ての文書も多数残っていて、仕事(荷物)や権利を巡って争いが絶えなかったようです。苦情や訴状も多く残っています。今も昔も変わりませんね。


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