池田城関係の図録
写真:旧池田街道旧池田街道
The road to the Ikeda.

1837年7月3日から始まった能勢騒動は、山田屋大助を中心としておこされ、同月5日には鎮圧されてしまいます。能勢の山田村出身で薬商を営む山田屋大助一行数人が、能勢の岐尼の宮に周辺住民を集めここから京を目指して進もうとしていました。しかし、事前にこの動きを察知した幕府を含めた諸藩の軍勢は、既にその一行を監視するように牽制行動をとっていました。 仕方なく一揆勢は、京都とは反対方向の西へ進みます。この騒動については、地元では特に賛否両論あり、民衆の自発的な行動ではなく煽動された半ば強制的な面もあったような記録もあります。しかし、基本的には「救民」の大儀名分だったようです。

 西に向かった一行は、写真にある街道を兵庫県三田方面へ向けて進みます。この道は池田街道と呼ばれ、古くから使われていました。三田には、池田市畑に菩提寺を置く麻田藩領や中世の池田城主池田勝正の墓と伝わる墓石などもあり、池田とは何かとかかわりの深いつながりがあります。
 道は、所々広げられていますが、殆どは狭く当時の面影も残しているであろう情緒が漂う道です。一揆勢は、昼食や宿泊などで道々寄りながら進みますが、そのゆかりの寺は、今もあります。また、兵庫県猪名川町の杉生というところに、買い取られて移築された山田屋大助旧宅があると本に出ていたのですが、確認できていません。もう建て変わっているのかも。探してはみたのですが...。

 道は上がったり下がったりしながら続き、途中にすばらしい景色も見られます。弁当でも持ってゆっくり進むのがいい道です。個人的には、好きな道です。しかし、その騒動に参加していた人達は、そんな開放的な気持ちには到底なれなかっただろうと思います。あれから164年経った日本の平和は、こういった事件の犠牲者のお陰でもあるのではないかと思います。こだわり過ぎるのも問題ですが...。
 そういう意味では、身近にある地域史をもっと知って欲しいと思います。日本史の位置付け的にも決して小さいとは言えない事件ですが、やはり能勢騒動は、あまり知られていない事件です。


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