大阪(伊丹)国際空港
Osaka(Itami) air port
大阪空港は「大阪第二飛行場」として現在の地(兵庫県伊丹市)に1938年(昭和13)9月に完成しました。大阪空港は伊丹市に建設された事から伊丹飛行場とも呼ばれていました。現在でも伊丹空港と呼ぶ人も多い(殆どか?)です。建設当時の空港面積は、53万平方メートルで滑走路は680メートルのものと、もう一本45度の角度で交わった東北から西南に走る830メートルの二本で構成されていました。その後、航空機の急激な発達にともなって、空港の拡張工事が毎年の様に行なわれます。終戦時には、当初の三倍以上の185万平方メートルの大規模な飛行場となっていました。戦時中は海軍航空隊電撃隊第7戦隊の基地となっていました。
1945年(昭和20)9月、伊丹飛行場は占領軍に接収され以来12年余り「イタミ・エア・ベース」として使用されます。1958年(昭和33)3月18日に米軍から全面返還され、名称も「大阪空港」となります。更に翌年7月、第一種空港として開港します。空港面積は317万平方キロメートルとなり、1970年(昭和45)には主滑走路の西側に3000メートル級のものが一本増設されて現在の設備体制となります。同空港は1995年まで国際空港として西日本航空運輸の中心的空港でしたが、大阪湾の南部に建設された「関西国際空港」の開港で、大阪空港は国内便のみの離発着となりました。
以前のような活気はなくなってしまいましたが、余剰地をアミューズメント施設(ラ・ソーラ)として活用すべく整備が進められています。1999年7月完成予定です。乞御期待です!
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