池田知正・三九郎供養の梵鐘と櫓
The memorial temple bell & house for Sankuro
大広寺は池田充正によって造営されてから後、1395年(応永2)天巌和尚を迎えて開山した摂津池田氏の菩提寺でした。大広寺には今も池田氏ゆかりの品々が残されていますが、戦国時代末期に荒木摂津守村重によって寺を伊丹へ移築させられてから、再び現在の地に戻るまでに混乱があって、紛失してしまったものも少なからずあるようです。また、明治維新頃の混乱期にも散在してしまったモノがあるということです。
しかし、ここでご紹介する知正・三九郎供養の梵鐘は、それらの危機を乗り切り今もその当時の姿を止めています。(残念ながら、一般公開はされていません)
中でも大広寺に現存する梵鐘(写真左の建物内にある)は、池田市に現存するものでは最古のもので、1609年(慶長14)に造られました。桃山時代の特徴をよくあらわしている工芸品です。銘文には、池田城主の前備州一相乗実大然定門(知正)とその養子の俊嶽常賢大禅定門(三九郎)の法名が刻まれていて、知正の弟池田光重が両人の菩提を弔うために同寺に奉納したものです。作者は、「藤原朝臣田端与右衛門尉正家」とあります。ちなみに櫓は昭和時代後期再建のようです。
▲ マップはB-3 ▲
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