池田長正書状
A Nagamasa Ikeda's letter
(個人蔵)
1549年(天文18)、中央の混乱に乗じて細川家臣の三好長慶は、将軍足利義輝や細川晴元等を追放し、すぐさま河内や大和をも手中に収め電撃的に畿内を掌握します。この時の池田家当主の池田長正(ながまさ)は、三好入道宗三の外孫にもあたることから三好家に所属する事になります。
長正は、三好家の下で三好一族や松永久秀等と共に武将級の地位を認められていました。度重なる戦いや拡大する版図の管理の必要性から、池田四人衆なる政務執行集団と思しき名が見られるようになるのは、長正の代のこの頃からです。その後の摂津池田家では、戦国の動乱に対応して様々な組織編成がなされたようです。写真の書状は、山田某に宛てた書状です。この山田が誰なのかは不詳です。気になるところです。
以下、内容です。
先年以来相詰 届之儀祝着候被 罷出候共可入人数等 割必可被越候於然ハ 忠節之筋目不可有 相違候恐々謹言 十一月廿五日 池田筑後守 長正(花押) 山田彦太夫殿 進之候
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