見出し:池田氏関係の図録
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写真:旧豊中市小曽根地区旧豊中市小曽根地区
The old town Ozone in Toyonaka city.

現在は大阪府豊中市となっている旧小曽根地区です。今も小曽根という地名は残っていますが、主要道の交差点名としても「小曽根」が残っていて、その辺りが旧集落のようです。小曽根は、豊中市域の集落の中ではその形成過程が注目されてます。また、その直ぐ西には南郷の代官を務めていた今西家があります。小曽根は早くから開けていた地域のひとつでした。
 小曽根集落は、東に高川、西に天竺川があり、その周辺には更にいくつかの集落がありました。高川の東には、榎坂村・垂水村、逆の天竺川の西には穂積村と何れも池田氏の勢力下にありました。
 池田氏は中世末期に登場する織田信長の勢力によって滅ぼされるまで、北摂の覇者とまで言われた程に様々な方面に勢力を伸しますが、この小曽根には室町時代初期の南北朝頃にその名を見せます。
 1365年(貞治4)の今西家文書の「春日社領垂水西牧結番目録」に小曽禰池田方として登場しています。これにより池田の一派がこの頃には、このあたりに土着していたと考えられています。
 また、時代は下って1487年(長享元)の榎坂村小番番頭にも池田方として登場している事、更に、同年の松番番頭に「小曽祢池田方」とあることからも約100年以上、同じ様な体制が維持されていた事が伺えます。
 池田氏は、着々と影響地域を広げます。1448年(文安5)8月、鷹司家領摂津細川荘本家職の入手、1478年(文明10)春日社兼興福寺領摂津桜井郷(箕面市)の代官職獲得、他に同じく豊中市原田や神戸市有馬、三田市方面などにもその勢力範囲があり、その版図はかなり大きなものでした。
 特に有馬氏・原田氏とはかなり親密な関係にあったようで、記録からもその様子が伺えます。原田氏については、システム的にも池田氏の命令を原田氏が更に下へ伝える体制になっていたようです。

 こんな具合に、池田氏と豊中市域は切っても切れない関係であり、もし、この付近を歩く事がありましたら注意してみてください。色んなところにゆかりがあります。


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