神田館跡
The remains of the Koda fort
この神田館(砦)は、池田郷土史研究の有志が書かれた「池田市内散策の伴」、「池田市内の寺院・寺社摘記」、「日本城郭全集9(人物往来社刊)」にも詳しく書かれていますが、いわゆる池田城の出城のようなものだったのでしょう。正確には、今の神田の東、小字菅井と言われていたところで、ここは菅井山とも呼ばれていたようで少し小高くなっており、村もありました。
池田城が1568年の織田信長の攻撃で落城した後は、当時の城主池田筑後守勝正も一時ここに居たようです。その後(元は?)、勝正の弟の知正がここに住み、1604年(慶長9)3月18日ここで没します。その後、廃れたとあります。
今は宅地開発で写真のようにその痕跡が見られませんし、地元の方もほとんど知らないようです。池田にお住まいの方で、もしかしてこの近くを毎日通勤・通学で通っておられる方がいらっしゃるのではないでしょうか?実は、なんの変哲も無いこんなところに昔、池田氏の館があったのです。今度通られる時は気にしてみて下さい。
▲ マップはB-5 ▲
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