旧林口町の堀
Existed? the moat on the southern edge of Ikeda town.
今も旧市街地区には数カ所池田城関連の遺構残っているのです。池田市教育委員会発行の「池田城跡-主郭の調査-」によるとその場所は5箇所あるようです。北は伊居太神社東南の辻、西は西光寺すぐ南の辻。東は2箇所で、池田文庫東側の道と旧能勢街道の辻付近、もうひとつは星之宮の北側付近、最後に南はこの旧林口町の境界あたりのこの写真付近です。場所は阪急池田駅から北に伸びる商店街で、二番街の中程です。
近年まで、小さな川というか溝のようになっていていたとの事です。写真ではわかりにくいですが、たこ焼屋さん(ひばり)の横に小道があり、それに沿って小川が流れていました。今は暗渠になっています。戦国時代にはこの場所が池田の町(縄張り?)の南端だったと考えられています。恵那堀の第二次壕と言われています。
近世の江戸時代には、その南側にも町が広がっていきますが、川を境としていたようで埋められず、橋も当時の地図には描かれています。よく見ると道筋は微妙に曲げられ、町屋への南入口の施設としての体裁が一部残っていたようです。
しかし、記録によると1508年(永正5)細川高国は細川尹賢により池田城は攻められて、結果的に城主池田貞正以下一族20余人、足軽70余人が城に火をかけて自刃したとあります。大広寺に自刃の時の敷板が「血天井」として伝えられています。
話しがそれましたが、攻城戦の様子をもう少し続けますと、篭城中に池田勢は数回切って出て寄せ手を敗ったようですが、援兵や兵糧が尽き、更に城方の池田遠江守が降伏したようです。そして運命の五月十日、この恵那堀が埋められたのを機に、観念して自刃したようです。
ちなみに貞正の嫡子、三郎五郎(久宗、信正)は有馬郡へ逃れて後、本流池田氏の再起を果たしています。
▲ マップ(詳細図)はB-イ ▲
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