池田城弓場跡
The remains of the parade ground for bows
大阪府池田市建石町の北半は弓場の跡と言われていたところで、現在住宅地や駐車場となっています。具体的には、建石町にある回生病院から北へ、杉ヶ谷川のあたりまでの一帯を弓場といっていたようです。池田城跡公園の正門(東側の橋を渡って大手門に通じる所)への入口の向い側です。薄茶のマンションの辺りが建石町です。
先にも触れましたが、現在は住宅地となったこのあたりは、池田城があったころには武家屋敷もあったかもしれないと想定されてもいます。
また、このあたりは戦前、戦後間もない頃までS氏の薬草園だったところで、1965年くらいまで、雰囲気としては草深い僻地の様相だったところだそうです。
地割り的には、東の馬場と言われる所とは道をひとつ隔てた場所で、その道(現在もある)はいわゆる一部池田城の堀の跡と言われている道です。施設としてはつながっていたのでしょうか?推定図では触れられていませんし、馬場という想定もされていません。
この記事は、個人的に聞いた古老の話しを今残っているものと結び、可能性をお伝えしているのですが、最近このあたりは宅地化が進んでいるのですが、同時にその調査がされない限り想像するしかありません。されなければ永遠の謎となってしまいます。池田城の予想される規模の範囲は、埋蔵文化財想定地域として何らかの(法?)指定されていますから、徐々にその全貌も明らかになるのかもしれませんね。個人的には切に願うばかりです。
▲ マップ(詳細図)はB-ア ▲
|