旧能勢街道
The nose old road.
能勢街道は大坂と能勢地方(妙見山)を結ぶ道で、江戸時代には更に整備がなされ、能勢街道という名称も江戸期以降から使われるようになります。それまではあまり決まった名前がなかったようです。整備と共に、物資輸送は益々盛んとなり、街道の中間に当たりまた、他にも多くの街道を交差させる池田は、北摂における物資の「一大集積場」となって賑わいます。月に市が12回立ち、多くの商家が軒を連ねたといいます。
池田城があった頃も経済発展の基本的な要素は、江戸時代と同様でした。ただ、軍事的な緊張感を常に孕んでいたので、主たる街道はその土地の有力な国人や豪族などに支配されていたようです。ですから、平和な江戸時代のような気軽さで通行はできなかったようです。能勢街道の道筋は、時代時代の支配者によって何度かつけ変えをされているようですが、現在でも道が継承されて面影を残している所もあります。
写真は当サイト「いにしえの池田」にも登場する「池田役場前の本町通り」の写真の西側から写したものです。写真のこの付近、建石町から上池田にかけては戦国時代、侍屋敷の立ち並ぶところだったようです。
能勢街道の現在は、残念ながら当時の面影を残す建物は、特に保護がなされていないので年々少なくなりつつあります。しかし、池田市内の旧能勢街道は、道幅もほぼ当時のままで、往事を忍ぶ事もできます。古い民家も時折見かけます。サイクリングがてら走るのもいいかも知れません。
▲ マップ(詳細図)はB-ア ▲
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