見出し:池田城関係の図録
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写真:中世の物見櫓中世の物見櫓
How to contact with others in the Age of Civil wars.

写真は岡山県美星町にある「中世夢が原」の復元物見矢倉です。戦国時代にはこういったところから情報を受けたり送ったりしていたようですね。やはり情報伝達というのは人間が居れば、必ず行なわれる行為で、かつ重視されている事です。
 古今東西、必ず情報伝達手段は存在しましたが、情報伝達は通過点であるため、奇妙な事にそれ自体は残り難く、意識され難いという側面を持ちます。そんな捉え難い情報伝達手段をどのように戦国時代の人々は意識したかについてちょっと考えてみたいと思います。
 ここまでくれば、ピン!と来るのが武田信玄の「狼煙伝達網」ですよね。しかし、これは甲斐武田家だけのお家芸ではなく、当時の畿内においても盛んに行なわれていた事なのです。摂津池田家でもこういった連絡網(自領内)を構築していたかもしれません。
 池田城跡では発掘に伴う結果などから、櫓台の存在推定されています。これは、連絡の任も担っていたのではないでしょうか?また、当時の北摂での城跡地からも櫓台跡と推定される遺構が多く認められているようです。
 更に、1532年(天文元)頃の文献でも大和高取山から二上山を経て高屋、河内飯盛山城方面へ狼煙台が築かれ、瞬時に情報が伝えられる体制があったと記録するものがあります。

 こういったことから、畿内でも盛んに遠距離情報伝達が行なわれていたであろう事が想定できます。情報を早く掴むものには大利があることを戦国の世の人々も認識し、その手段に様々な工夫を凝らしていたと思われます。
 こういった面から池田城を見て行くと、今よりもかなり広い範囲も想定しなければならず、興味も深くなっていくのではないでしょうか?もしこういった伝達が池田でも行なわれていたとすれば、五月山の役割は大きくなりますし、意味合いが変わる事でしょう。少なくとも五月山から池田城が俯瞰されるという論は難しくなるのかもしれません。

池田城跡発掘調査報告書

参考:新修池田市史1、天文法華の乱、日本城郭大系12、
池田城跡「主郭の調査」他各発掘資料など


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