光重公奉納の現存する獅子頭
Offered by Mitsushige, the lion head
(豊中椋橋神社蔵)
光重は相次ぐ不吉な出来ごとからか、また信心深さからか、各地に奉納・寄進をしています。その中のひとつで天正年間、光重に次男(他紋丸:重長)が誕生した折り無事成長と武運長久を願って獅子頭を奉納しています。この椋橋神社は、猪名川沿いである関係から池田との結びつきも深かったようです。また、はっきりしたことはわからないそうですが、かなり古くからあった同社は、この辺りに広大な氏地を持ち天皇の勅願所となったり、武門の神として祀られる等摂津では大変有名な神社だったようです。荒木村重の乱の時神社の近くにあった椋橋城(守将は池田恒興・元助・輝政)の関係で、神社は社殿を始め悉く消失しています。
この獅子頭が寄進されたのは戦乱のつめ痕がまだ残る天正年間ですが、次第に大平の世になりつつある時でもありました。現在、獅子頭は椋橋神社の社宝となっていますが、江戸時代にも大切にされていたようです。江戸時代の末期の頃の記録だそうですが、獅子頭をめぐり村同士の奪い合いになっていたということです。地域のステータスシンボルだったのでしょうか。
写真を見てもおわかりのように獅子舞は黒焦げになっていますが、大正五年の火災により本殿を全焼する大火事に遇い、獅子頭は辛うじて運び出されて今に伝わっています。出火原因は、火の不始末だったそうです。また、焼け出される前は、他の装具一式もあったそうですがその時に皆、消失したのだそうです。頭を良く見ると、朱や金の塗料の跡があり当時の華やかさを感じました。獅子頭は残念ながら一般に公開はされていません。
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